ニューイングランドの田舎から

北国の春

まったく月日の経つのは光陰の如く、ここアメリカの東海岸、イギリスの探検家が1614年、沿岸を航行し、母国にちなんで名付けた「ニューイングランド(New England)」と呼ばれるマサチューセッツ州の町、ボストン(Boston)の郊外に住みはじめて、はや1年目(1995年)を迎えようとしています。

ここボストンにも、やっと春の気配です。 私の生まれ故郷札幌とほぼ同じ、北緯約42度。天候も随分と似ています。5月に一斉に花が咲き、10月末には紅葉もおわり、そして冬。 今年は積雪も少なく暖冬といわれる冬でしたが、それでも気温が零下約20度近くまでさがり、吹く風零下約40度という日もありました。

私の住んでいる所は、マルボロ(Marlborough)といって、ボストンの西約50キロメートルの郊外で、たくさんの木立に囲まれ、春の新緑、秋の紅葉と目を楽しませてくれます。 ことしは何年かに一遍というアイスストーム(Ice storm)がやって来て、木々が氷に包まれました。 ちょうど樹氷のように枝という枝が氷に覆われ、それが太陽の光で輝き、遠くからは満開の桜のように見えました。

しかし、もう3月も末だというのに、雪が舞って来ました。 先日、たまたまこの日にアメリカの西海岸から来た人は、「寒いのはいやだね。金貰っても住みたくないよ」といっていましたが、一方採用希望でインタビューした西海岸の人は、「治安がよくないので、親兄弟・親類のいるニューイングランドに帰りたい、天気は気にならないヨ」といっておりました。 とある人の説では、このマサチューセッツのあたりは、もともと寒い国のアイルランドから来た人が多いので、彼らは寒さには慣れっこだといいますが、当たっているかもしれません。

アメリカ合衆国のもう一方の端、ウェストコーストと呼ばれる西海岸、カリフォルニア州にサンフランシスコ国際空港が在る半島があります。 この半島の北端サンフランシスコ市から半島の南端のサンノゼ市までには、ここ30年の間に大きくなった街が点在しています。 この半島の南端が、別名シリコンヴァレー (Silicon Valley)と言われ、2500社をこえるコンピュータ関連の企業が群がっています。 半導体・コンピューター・ソフトウェアの世界でトップを競う企業からベンチャ企業、そして日本・韓国・台湾企業の子会社が集まり、この地域は半導体業界の先導的役割を果たしています。 半導体がシリコンから作られることから、シリコンヴァレー といつしか呼ばれるようになりました。

初めてこの地を訪問したかれこれ9年前のとき、「谷間(Valley)」という言葉にこだわって、なぜか養命酒の宣伝にあるそそり立つ山と狭い峡谷を頭に浮かべながらハイウエイを進み、ここがシリコンヴァレーですよと言われ東京都と同じ広さがなぜ谷と呼ばれるのかと考え、その概念の違いにはじめて気がついたものでした。

それにもまして、その天候のすばらしさに感嘆したものです。 日本の梅雨時に汗をかきかき成田を発つと、湿度を感じさせない「カラット」した空気に、これがアメリカの天気かと感激したものです。 真冬にやって来ても、寒さに身を屈めることもなく、いつも快適な気候というのが私の印象でした。私がアメリカに来るようになった当初は、大半がこの西海岸との往復でしたから、このいつも青空の見られる天候とシリコンヴァレーの活気、アメリカ産業のバイタリティがオーバーラップして、自分なりのアメリカ観が出来上がっていました。 しかし、その後出張の回を重ねるにつれて、アメリカの北部や東海岸の冬の厳しい天候にも遭遇して、厳しい天候、そのなかで働く様子を見るにつけ、アメリカの広大さ、多様さを感じていました。

私が、初めてボストンを訪れたのは1987年のこと。 当時、再編成され新たに発足したコンピュータの開発部門の先輩二人と一緒に、ボストン郊外にある会社を訪問するために、成田を飛び立ったのは2月の末。 ニューヨークのJ・F・ケネディ国際空港という華やかさを期待させる名前に反して、閑散と殺伐とを足して割ったような雰囲気の飛行場で乗継ぎ、まだ雪の残るボストン空港に降り立ったのは、家を出てからかれこれ20時間後でした。

鉛色のどんよりした天気、写真とは異なりなぜかくすんで見えたレンガ作りの建物。 東京とおなじように混雑する道路。 私の第一印象は、その天候のせいもあり、決して明るいものではありませんでした。

 

子供の頃、3月になって雪が溶けはじめると、家の裏庭の雪を掘り起こし、早く黒い土を見ようとしたものです。 積もった雪の表面は既に溶けかかっていても下の方はまだ固く、土と堆積した雪との間にシャベルをいれ、ゆっくりとシャベルを動かすと、大きな塊で雪を除くことができました。 こうすると、一瞬にして、黒い土があらわれ、そこには雪の重石を突きやぶって数センチの長さになった緑色の水仙の芽があり、この緑と土を見たさによく春になると、この雪掘りをやったものです。

ここニューイングランドでも、春の日差しを久しく待つ気持ちは同じで、冬の間、The weather is serious.(天気は予断の許さなぬものがあるとでも言いましょうか)と言っていた地元のテレビ局の天気予報も、気温が上がりはじめると、「いやー春です」と実にうれしそうです。 本当に「北国の春」は、待ち遠しいものです。

May 1995